2005年11月 5日
伊豆半島の露出狂
「平さんは温泉ばっかり行けていいですね」と多くの人から言われる。
きっとみなさんは私が温泉地でのんびりとしていると勝手に誤解されているのであろう。
確かに、多くの方はのんびりするために温泉に行くのが当たり前なのだろうが、私の場合は温泉に行く度にさらに疲れが増すのである。
私は、温泉でゆっくり、のんびりとした記憶はまったくない。
もちろんそれは、温泉地や温泉そのものに問題があるわけではなく、一重に私の温泉の入り方に問題があるせいなのである。
私は本業があるのでそうそう温泉ばかりには行っていられないのである。
そこには、日ごろからスケジュールの隙間を縫って何とか温泉に行きたいと考えている私と、社長に何とかもっと働いてもらおうと考えている事務所のスケジュール担当者との間で囲碁名人クラスの駆け引きがあるのである。
うちの事務所のスケジュール担当者たるやカウンセラーというよりもほぼ霊能者状態で私の手をどうやらすべて読みきっているらしく、先手先手をものの見事に打ってくる。
おかげで今年は1月から6月までの間、お正月の家族旅行と4月の社員旅行以外は、まったく温泉に行けなかったのである。彼女の完勝であった。
6月以降は私も逆襲に転じ、何とかかんとかかろうじて数回は温泉に行けたのであるが、このようにめったに行けないため、行けたときには悲惨を極めるのである。
日帰りの場合、5ヶ所は必ず入るし、1泊2日で行けるときは14ヶ所くらい入る。
社長解任もやむなしの覚悟で臨んだ2泊3日の温泉旅行では、破れかぶれで24ヶ所も入ってしまったのである。
このようなハードスケジュールで温泉に入っているので、宿に着いた頃にはもうすっかりげんなり。湯あたりを超越して「湯たたり」状態になっているのである。
もう二度と来れないかもしれないと言う思いが、ついついもう1湯、もう1湯と私を駆り立てていくのである。
さて、新緑の美しいとある日、私はその日の夜に東京で講座があったのであるが、4:30に起きて、大阪から朝一番の新幹線に乗り、三島駅に降り立っていたのであった。
そして、いつものように、三島駅でレンタカーを借り、伊豆半島の温泉めぐりに出かけたのである。
伊豆には温泉がありすぎる。
しかも日帰りで夜には東京にたどり着かねばならない私に与えられた時間は15:00までなのであった。
伊豆長岡から修善寺、そして湯ヶ島へと温泉を渡り歩き、石川さゆりの「天城越え」を口ずさみながら浄蓮の滝の横を通り過ぎ、ついに本日の目玉である大滝温泉(おおだるおんせん)天城荘にたどり着いたのである。
この温泉は雑誌などでも取り上げられることが多いのであるが、河津七滝のひとつである大滝のすぐ横で入れる渓流露天風呂が名物でさらに奥行き30mもある洞窟風呂まであるのである。
帰りの電車は15:10過ぎに河津駅を出るので、私は1時間ほどで入浴をすませなければならなかった。
昂ぶる気持ちを抑えながら、日帰り入浴代金を支払おうとホテルのフロントに行ったところ、5人ほどの先客グループがいたのであった。
そのグループも昂ぶる気持ちを抑えられないのであろうか、入浴代金を支払うや否や温泉に向かおうとしたのであるが、そのとき、フロントマンに呼び止められたのであった。「お客様、水着はお持ちですか?」
「え?水着なんか持ってないよ」
「もしよければ水着をお貸しすることもできるのですが・・・」と言うフロントマンの声に逆らうように、そのグループのメンバーの一人が「風呂に入るのに水着なんか着たくねぇよ」と行ったのである。
私もまったくの同感であった。
「内風呂はよろしいのですが、露天風呂は混浴になっておりまして・・・」と言うフロントマンにグループのメンバーが「必ず水着は着けなきゃいけないの?」と聞き返したところ「いえ・・・必ずではないのですが・・・」とフロントマンは口ごもった。
そこまで聞いたところで、その5人グループは「俺たちは男だから水着はいらねぇよ」と足早に露天風呂へ向かっていったのであった。
私の経験で言うと混浴といっても今時若い女性など誰も入っていないのである。ほとんどが男同士だけでたまに女性がいたとしてもほとんどおばあちゃんたちのグループだけなのである。
ここもきっとそうだろうと勝手に判断し、せっかくの絶景露天風呂に入るのに水着などは着けたくはなかったのである。
しかも、このいきさつを見ていたものだから、私も水着のレンタルのお申し出を断らせていただき、足早に風呂に向かったのであった。
まずは、内風呂に入った。
内風呂だけでも十分よい湯であったのだが、ここの目玉は先ほども書いたとおりの大滝の横で入る渓流露天風呂なのである。
内風呂で軽く一汗流した私は、タオルを一本もって渓流露天風呂に向かったのである。内風呂からいったん外に出て、渓流露天風呂まではまだまだずいぶん下に降らないといけないようだった。
細い下り道を100mMほど歩いて降りると、「これより下、当旅館の宿泊客および入浴者以外立ち入り禁止」という立て看板があったのである。
このときにこの看板の意味をもっと深く考えるべきであった。
しかし、私は一刻も早く温泉に浸かりたい一心で深く何も考えず、渓流露天風呂に降って行ったのであった。
その渓流露天風呂は滝のすぐ横にあってそれはそれは見事な絶景の渓流露天風呂であったのである。
平日であったためか入浴者は数名しかおらず、そのうちあの5人組と私の6人がスッポンポンであと3人の男女のグループが水着を着けての入浴であった。
滝壺の横には奥行き30mの洞窟風呂もあり、それはそれはすばらしいひとときを私は堪能したのである。
そして、先に露天風呂から入浴したであろうこの5人グループが宿の内風呂に向かおうとしたときに大事件が勃発したのである。
ふと頭上を見上げると、先ほどの看板があった付近に何百人という修学旅行の女子高生が滝見物のために訪れていたのであった。この大滝は宿の露天風呂に入る人のためだけにあるのではなく観光の名所にもなっていたのであった。
彼女たちのいるところからは露天風呂は見えないのである。ところが、修学旅行で滝鑑賞に訪れた女子高生たちと内風呂に向かうべく旅立ったタオルで前を隠した5人組のおじさんたちが遭遇したのであるから、現場は大パニックであった。
「キャー!」
何百人と言う女子高生の悲鳴が彼らを包んだのである。
まさか、この細い道が露天風呂入浴者のためにも存在するなどということは彼女たちは知らないのである。
先ほどの細い下り道を私は宿の中にある露天風呂専用の小道と思い込んでいたのであるが、その小道は実は宿の外から滝見学用に作られた一般の公道であったのである。
公道であるのだから、フロントマンは親切にも水着を勧めてくれたのであろう。
もし仮に水着をつけていたところで、とても恥ずかしいのであるが、タオル一本でこの女子高生の垣根をくぐらねばならないとはもはや露出狂以外の何者でもあるまい。
先のグループはまだ救いがあろう、なぜなら仲間がいたし、しかも全員細身であったのである。
しかし、私は何分この巨体、入浴用のタオルでは腰にタオルを巻けないのである。
美肌に自信があるとはいえ、この何百人の女子高生の修学旅行客にお尻を見られてしまうなんて・・・きっと私は彼女たちの修学旅行の思い出話に毎回毎回登場する羽目になるのであろう・・・。
そして年月が過ぎるにしたがい、事実はどんどんねじ曲げられ、きっと10年後の彼女たちの思い出話の中では、私はトレンチコートなどを着て滝の中から突然登場することになるに違いない。
彼女たちが帰るのを待って風呂から上がればよいではないか、と思われる読者もいらっしゃるかもしれないが、私は河津駅発15:12の特急踊り子110号でここを発たねば、今日の東京の講座に間に合わないのである。
今や入浴客はスッポンポンの私と水着の男性1名女性2名のグループの4名だけである。あの男性を襲い、水着のパンツを奪い取ろうかと思ったが、彼のほうが若くしかも筋肉隆々だったので、あっさりとあきらめ、ただただ困り果てていたのであった。
刻々と時間だけが過ぎていき、もはやこれまで、露出狂と言われようが一生修学旅行の思い出話のネタにされようが、もう行くしかない、と腹をくくったまさにそのときに、宿の人が交通整理にかけつけてくれたのであった。
たぶん新たな入浴者たちがこの女子高生の群れにおののき、露天風呂に行くに行けなくて困ったのであろう。
まさに地獄に仏であった。
彼女たちもクモの子を散らすようにどこかに消えて行き、その合間を縫って私もなんとか脱衣室までたどり着き、事なきを得たのであった。
今回、あえて温泉名と旅館名を挙げさせていただいたのは、皆様が私のような目に合わないようにしていただきたいからである。
フロントマンの言うことは必ず聞いて、水着を借りていただきたいのである。
はてさて全国各地でいろんな目にあいながらも私は温泉に行きたいのである。
湯あたりになろうとも、温泉に入りたいのである。
どんなにスケジュールがタイトであっても、どうにかして温泉に入りたいのである。
そこで、この度、メンタルでは・・・いや社長個人が以下の場所での講演を希望しています。
講演料:野菜、米などの現物支給でも可
交通費:もらえたらうれしいが、なくても可
宿泊:当方で勝手に手配
観客:クマ、シカ、イノシシ、タヌキ、キツネだけでも可
場所:青森県・八甲田山中付近、秋田県・乳頭山のふもと付近、福島県・ 安達太良山付近、島根県・三瓶山周辺、鹿児島県・指宿付近 など
上記地方での講演を主催していただける方は事務所を通さず、社長に直接申し出ていただくよう、お願いいたします。
なお、上記場所以外の講演、特に都心部の講演依頼は事務所を通していただくよう、お願いいたします。
2005年11月 5日 00:00