2006年1月21日
極寒の東北・罰ゲーム旅行
前回のブログ「年賀状」でちょっと書かせていただいたが、平家は暮れも押し迫った年末に東北まで家族旅行に行ってきたのである。
この年末年始がどのような気象条件であったかは、みなさんよくご存知であろうと思う。
伊丹空港から飛行機に乗って出発できたのはよかったのであるが、青森地方が猛吹雪だったため、青森空港上空を30分間も旋回する羽目になってしまったのである。もしこのまま天候が回復しなければ、三沢空港か仙台空港に着陸するというアナウンスが、今回の旅行の行く先を暗示していたのであろうか。
何とか無事に青森空港に降り立った我々は、空港でレンタカーを借りて、この記録的な豪雪の中、一泊目の宿である八甲田山中の秘湯の一軒宿に向かったのである。
八甲田といえば、明治35年に陸軍の青森第5連隊が演習中に大遭難をしたところで、新田次郎の「八甲田死の彷徨」という小説や、映画「八甲田山」などで有名である。
平家は、猛吹雪の中、その八甲田に向かったのである。
さすがの温泉マニアの私も、この日ばかりは途中のどこの温泉も立ち寄れず、ただ無事宿にたどり着くのが精一杯だったのである。
視界5mの中、時速30kmでよろよろ運転して、普段の数倍の時間をかけて何とか宿にたどり着いたのであるが、そこで我々は奇妙なものを目撃したのである。
宿の正面玄関に、いくつも連なるかまくらがあるのである。
「ほほう、なかなか風情があってよろしいなぁ」とほくそえむ私と「わーい!わーい!かまくらがいっぱいある?」と喜ぶ我が子供たち。
しかし、近づいてわかったことなのだが、我々がかまくらだと思ったものは、なんと駐車している車だったのである。
な、な、なんと車が雪に埋もれているではないか!!いったい何日前から車を止めているのであろう?湯治のお客さんが10日ほど前から車を止めっぱなしにしていたのであろうか?なんともすごいものである、と感心しながらも、外の寒さから逃げ込むように宿の中に入り、その日一日は、ゆっくり絶品の温泉で家族一同一年間の疲れを癒したのであった。
さて翌日、チェックアウトを済ませた私が降りしきる雪の中、駐車場で見たものは・・・さらなるかまくらの行列だったのである。
あまりの豪雪にたった1日で車が埋まってしまうのである。
私の乗ってきた車は、青森空港で借りたレンタカーだったので、車のナンバーだけが私たちが乗ってきた車を確認する唯一の術だったのであるが、ナンバープレートなどはとっくに雪に埋まっていたため、私は十数台の車の前を雪かきして自分の車を探す羽目になってしまったのであった。
そして、ようやく車を見つけたのであったが、さらに車の上やまわりに積もった50cm以上の雪を雪かきかきをしなければ、車のドアも開けられない状況であった。
冬の八甲田の豪雪はなんとすさまじいものであろうか?
20分以上をかけて車の上や周辺に積もった雪かきを終えたのであるが、フロントガラスが3cmほど凍り付いていたために、車のヒーターを最強にして運転できるようになるまでにさらに20分かかった のである。 ↑雪かきをした後でもこんな状態
この宿を後にできたのはチェックアウトしてから1時間後であった。
2泊目の宿は、日本海側の海沿いの絶景露天風呂で有名な宿だったのである。
私的には、山の温泉と海の温泉を堪能し、魚が好きな我が奥さんに海の幸を堪能してもらおうとこの日本海沿いの海の宿を選んだのであるが・・・
八甲田と違い、日本海沿いはさほど雪が多くなかったのである。なぜかといえば、あまりの強風に雪が飛んでしまうためで、海岸線のドライブは八甲田違って結構快適であった。そして、我々一行は夕方近くに日本海側の海が眺められる宿に到着したのである。
しかしながら、東北の冬は日没が早い。我々が到着したのは4時過ぎだったにも関わらず、もう薄暗くなっていたため、日本海を眺められる露天風呂には朝一番に入ることにし、冷え切った体を内湯で暖め、この日は宿でゆっくり海の幸を堪能したのであった。
翌朝、7時過ぎになってようやく外が明るくなってきたため、朝食を済ませた我が家族はこの宿一番の売りである、全国的に有名な海を眺めて入る絶景露天風呂に入ろうとしたのであるが・・・
露天風呂までは宿を出て150mほど海岸沿いを歩いていかなければならないのだが、宿を出たその瞬間にあまりの風の強さにうちの奥様と娘は断念し、私と息子だけがこの露天に向かうことになったのである。
気温は氷点下5℃。風速は5m。時には10mの強風が吹きすさぶ中、親子ともども浴衣をたなびかせながら、露天風呂に向かったのである。
さすがにこんな強風の中、露天風呂に入りに行こうという人は誰もなく、向かっている人はわが親子だけだったのである。
鼻水がつららになろうとしているこの極寒の状況で、我が息子はすでに半泣きであったのであるが、それでも何とか前に進みながら、一言私につぶやいたのである「パパ、これはまるで罰ゲームだね」
私にも返事をする余裕はなく、ただただうなずきながら露天風呂に向かって言ったのである。
やっとたどり着いた我々は、脱衣場もない場所で浴衣と下着を脱いで、露天風呂に飛び込んだのであった。
しかしながら、この強風と極寒の中、露天風呂はすっかり冷め切っており38℃度くらいのぬる湯になっているのである。
「パパ、ぜんぜんあったまらないね」という息子になんと答えればよいのであろう。
しかし、露天風呂の外は極寒・・・まさしく出るに出れない状況のまま我々はこの露天風呂につかっているしか道はなかったのである。
しかしながら、いつまでもこうしているわけにもいかず、「そろそろ上がろうか」と子供に提案したところ、我が息子が言うのである「パパ、浴衣がないよ」
そんなことはあるまい。脱いだところに浴衣はあるはずなのである。仮にどろぼうがいたとしても財布も何も入っているはずのない浴衣を誰も取っていくわけがないと思うのだが・・・しかし、振り向いた こんな絶景の露天風呂なのに見ての
私の前には、浴衣もなければ、下着もなかったのである・・・ とおり誰も入っていない
そう、強風が我々の浴衣と下着を飛ばしていたのである。
強風の中を見渡すと、実に見事にバラバラに下着と浴衣と帯が宿から浜辺の露天風呂に向かうまでの大雪原に点在しているのである。
このときほど手旗信号を習っていなかった自分を呪ったことはない。
もちろん露天風呂は宿からは見えないようになっているのであるが、浴衣と下着が散乱しているこの大雪原は、宿からも丸見えなのである。
下駄だけが唯一飛ばされずに残っていたのであるが、スッポンポンのいでたちでゲタをはくという貴重な体験をしながら、私は散乱した浴衣と下着を拾うべく大雪原に向かったのであった。
もちろん、下着と浴衣がどろまみれであったということは言わずもがなである。
私と我が息子は。泥だらけの浴衣を身にまとい、半死半生で宿に帰ってきたのであった。このまますぐにでも内風呂に飛び込みたかったのであるが、泥まみれの下着と浴衣をもう一度着るのも耐えられなかったので、我々親子は渋々、部屋に向かうしかしょうがなかったのである。
その間、何人の人とすれ違ったことか・・・
ようやく部屋にたどり着いた我々がうちの奥さんと娘にどんな目で迎えられたかは、あえてここに書かないことにする。
今年の家族旅行、私は連れて行ってもらえるのだろうか?
2006年1月21日 00:00