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2006年9月 2日
天国から地獄への階段

スイスのマッターホルンにまでやってきた平家一同は、天候にも恵まれ、ハイキングを楽しむことになったのだが、息子の高山病のせいで当初計画していたハイキングコースとは違うコースを歩くことになったのである。

我々が出発しようとしているレストランのテラスからは、アルプスのすばらしい山並みと一面の緑が広がっていて、子供たちだけではなく我々もついハイキングを楽しみたくなるようなすばらしい光景なのである。
これから歩こうとするコースの下調べはしていなかったけれども、この景色を見れば、誰だって歩いてしまうだろう。
そして我々一同は、ウキウキしながら、ハイキングを始めたのである。

ルートは知らねど、何十人という人が歩いているし、私たちがいる地点は標高2,500m、一つ下の駅が標高2,222mなので、標高差が300mのところを下っていくハイキングコースなので、たいしたことはなかろうと私はすっかりなめていたのである。

我々が、高原に咲いた花々を愛でながら、ゆっくりとした下りを鼻歌まじりで、500mほど歩いたところで、私は固まってしまったのである。

なんと断崖絶壁なのである。

断崖絶壁というと岩で囲まれた切り立った場所をイメージされると思うのだが、正確に言うと、この場所はその岩をすべて草原に変えてしまったような断崖絶壁だったのである。
一歩足を踏み外せば、奈落の底まで一直線のすごくデンジャラスな道なのである。
そして、この奈落の底に、我々の目的地であるとてもかわいい駅らしい建物が見えているのである。

一瞬びびった私は、もといた場所まで戻ろうか、と考えたが、500mも下ってきたということは、もとの場所まで帰ろうとすると500mも登らねばならないということである。
これは、私にとっては断崖絶壁を下るより、過酷なミッションなので、下るしかないと決意を固めたのであった。
そして、ふと横を見ると、うちの子供たちの目が燃えているのである。
「うわー、恐い道だ?」と言いながら、息子も娘も目をギラギラと光らせて、その下り道を駆け下りるのである。

「まぁ下りだから何とかなるだろう」と思って、私も再び歩きはじめたのだが、登山をされる方ならお分かりだと思うが、急な下りは、登りよりも足に負担がかかるのである。
道半ばから、私はほとんどすり足のような状態で、何人もの子供や老人に抜かれながらこの下りを歩いたのである。
やっとの思いで駅だと思ったあのかわいい建物までたどり着いたのであるが、それが駅ではなくてただのホテルだったと気づいたとき、もう私の足は上がらない状況だったのである。

ところが、地獄の仏である。
このホテルには、遊園地などでよく見かけるミニトレインのようなものがあり、ホテルと駅との送迎用に使っていたのである。
さっそく運転手に「有料で送ってもらうことは可能ですか」と質問したところ、運転手さんは「もちろん」と笑顔で答えてくれたのである。
そして、5スイスフランで送ってもらえたのであるが、彼がもし、1万円と言ったとしても、私は快く乗ったことであろう。
この下りがいかに過酷であったかは、うちの奥様が帰国後、ひざに水がたまって苦しんでいることからもわかっていただけるのではないかと思う。


さてさて、何とか、この地獄のようなハイキングを終えて、我々は、ホテルにたどり着いたのである。
我々のホテルのベランダからは、マッターホルンがとても美しく見えたので、息子にもこのとんがり山が印象に残ったようである。

息子:「ねぇねぇパパあのとんがり山は何て言うの?」
私:「あれはマッターホルンというスイスを代表する山なんだよ」
息子:「え?まったったホーン?」
私:「「いやいや、マッターホルンだよ」
うちの息子はどうも横文字に弱いらしく、この「マッターホルン」がよく覚えられないようなのである。
前回の、フランス語講座以来、こういうときにうちの息子は必ず私にこう言うのである。
息子:「何とかもっと覚えやすい日本語のようにして教えてよ」
そこで私は、息子に教えたのである。

私:「待った!ほるん」

「ほる」というのは関西弁で「捨てる」ということなのである。
要は、「捨てるのを待て」という意味の関西弁である。
これは、うちの息子にも覚えやすかったようで、「待った!ほるん」と何度も練習していたのである。

さて、その日の夕食。
スイスのホテルは、日本の旅館とちょっと似たところがあり、ハーフペンションという2食付で泊まれる制度があるのである。
普通、ホテルは朝食はついていても、夕食は別料金なのだが、スイスのホテルは、少し料金を追加すれば、2食付にしてくれるのである。
しかもこれは、ディナーを別料金で頼むよりずっとお得なので、平家は2食付でこのホテルに泊まっていたのである。

夕食にレストランに行ったところ、なんと3分の1が日本人だったのである。
我々の隣のテーブルにいた上品そうなお年寄りのカップルが、うちの息子に話しかけてきたのである。

お年寄り:「ねぇねぁ今日はどこに行ってきたの?」
そのときうちの息子はこのお年寄りのカップルに、はっきりとこう言ったのである。
息子:「『ほったらあかん』に行ってきた」
お年寄り:「はぁ???」

もちろんこれは、マッターホルンのことなのであるが、先ほど我が息子に教えた「待った!ホルン」は時間とともに彼の左脳で「ほったらあかん」に変わってしまったようである。

帰国後もうちの息子は、マッターホルンのことを、「ほったらあかん」と覚えてしまっているのである。

2006年9月 2日 00:00