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2006年11月11日
多重人格障害について

先日、飛行機の中で、前回アップしたブログの「国際紛争と民族問題について」の校正をしていたのである。
ちょうどそのときに、最近、読んでいる本2冊も飛行機に持ち込んでいたのである。
タイトルは、1冊は「世界の辺境をまわる」、もう1冊は「イエメンと周辺アラブの国々」だったのである。
タイトルだけ見ると専門書のように見えるのであるが、これは2冊とも旅行記だったのである。

「もう、キミちゃーん、また漢字の変換が違ってるじゃないのー」などと、一生懸命ブログの校正をしていると、隣りに座ったおじさんが私に話しかけてくるのである。
「先生の専攻は民族問題なのですか?」と。

「はぁ?」と思ったのであるが、私はいろんな人と間違えられることに慣れ過ぎているので、ここで「いいえ、違います」と言ってしまえば話が断ち切れてしまう。
どういういきさつでそう思われたのかはおいておいて、せっかく私に話しかけてきていただいたその人に失礼であろうと思い、こういうときには必ず「そうですが、なにか?」と眼鏡をやや押し上げながら答えることにしているのである。

どうやら、私がセコセコと校正しているブログの「国際紛争と民族問題について」というタイトルだけ盗み見して、そして、私の持ち込んだ本2冊のタイトルを見て、間違えられたようなのである。
午後の大阪発の羽田行きの飛行機は、ほとんどがスーツを着たサラリーマンばかりである。
ところが、どう見てもカタギに見えない服装でこんなタイトルの原稿を校正しているので、好意的に大学の先生と思われたようである。

お隣のおじさんは元商社勤務で、けっこう世界を回られたようなのである。
そのおじさんが私に質問をしてくるのである。
「先生はフィールドワークでけっこういろいろなところに行かれるのですか?」と。
私はめいっぱい押し上げた眼鏡をさらに押し上げながら、「ええ、まあ」と答えるのである。

元商社のおじさんは、仕事柄、いろんなところに行っているようで、「どこがいちばんよかったですか?」と質問をしてみると、「トルコがよかった」と答えてくれたのである。
ところが、である。
私も行けるものならトルコに行ってみたいと思い、トルコの旅行記やガイドは家に10冊以上ある。
こと細かいところまで私は喋れるのでもある。一度も行ったことないくせに・・・。

いちおう、この人の場合、私を少数民族問題専門家だと思いこんでいるようなので、その期待には応えてあげねばならない。
「トルコも東の方に行けば、クルド人が多くて治安が悪いですねぇ。なんとかイラン国境のアララト山に行きたいと思っているんですが、どうもあそこは外国人には行けませんねぇ」などとそれらしい発言をすると、隣のおじさんも我が意を得たとばかりに「あそこは聖地にもなっているので、富士山のような日本人好みの山なのに行けませんねぇ」と乗ってくるのである。
このアララト山という山は、ノアの箱船がたどりついた山としても有名なのである。

また、そんな話題で盛り上がっていると、たまに私が詰まるような質問もしてくるのである。
「先生は、いつごろトルコ東部に行かれたのですか? そのころは、クルド人のテロはどうでしたか?」などと非常にシビアなジャンルにつっこんでくるのである。
しかしながら、この種のかわし方は本能的に慣れているのであるから、「いつだったかなぁ。トルコ軍隊が町の隅々に戦車をおいていましたが、幹線道路は比較的問題なく動いていましたけどね」とごまかすのである。
だって、僕の読んだ旅行記にはそう書いてあったんだもん。

すると、そのおじさんは言うのである。
「いやあ、すごいですねぇ。われわれは紛争なんかがあると、すぐ日本の本社から引き上げてこいなどと言われ、なかなかその現場には立ち会えないのですよ」と、私をうらやましがったりするのである。
そんなこんなで盛り上がっていると、そのまわりの座席に座っている人たちもなぜか私に一目おいてくれるようで、とってもほほえましいことなのである。

同じようなケースは、東京での仕事が終わり、大阪に帰るべく羽田空港にタクシーで向かっていたときにもあった。
タクシーの中で携帯電話が鳴ったのである。
今年の6月ごろだと思うのであるが、そのころ、私は夏休みのヨーロッパ旅行のホテルの手配を、英語が堪能なうちの受講生に頼んでいたのである。
その手配の確認の電話だったのであるが、その電話を切ったところ、運転手さんが私に聞いてくるのである。
「お客さんは、ヨーロッパによく行くのですか?」と。
運転手さんからはたぶんよく見えないのであろうが、いつものように眼鏡を上に押し上げながら、またまた私は答えるのである。
「ええ、まあ」。

どうも運転手さんは、昔、美術関係の仕事をしていたようで、バブルのころなんかは高額な絵画を買っていただいたお客様を招待して、パリやミラノの美術館めぐりをしていたそうなのである。
もう何十回と行っているらしく、パリなんかはすっかり飽きていらっしゃるようなのである。

そこで、運転手さんに言ったのである。
「じゃあ、パリに着いたら、その日の夜はセーヌ川下りの船をチャーターしたりして、夕食付きのクルーズなんかするんですか?」。
「いやあ、ほんとにそうなんですよ。さすがお客さん、ツウですねぇ」。
ツウどころか、その時点で私はパリに行ったことはなかったのであるが、JTBのヨーロッパ旅行のチラシには、1日目の夜は必ずそういう行程だって書いてあるんだもん。

さらに美術関係者らしく、「いやあ、ルーブル美術館なんか、もうだだっ広いうえに、有名な絵なんかがボーンと置いてあるからビビりまくりですよ」なんて言ってくれるのであるが、私は絵にまったく興味がないうえに、ルーブル美術館なんか行きたいとも思わない絵心のない男なのである。
しかしながら、そんなことを言うと、きっと運転手さんがガッカリしてしまうと思い、てきとうに話なんかを合わせていると、運転手さんが「ミレーの“落ち穂拾い”なんか、いきなりただ飾ってあるだけですもんね」なんて言うのである。
しかしながら、「“落ち穂拾い”は、オルセー美術館ですよね」と返す私。
だって、「地球の歩き方」のオルセー美術館のところにそう書いてあったんだもーん。

すると運転手さんは「あ、そうでした。お客さん、美術ツウですね」とのたまうのである。
自分ではまったく気がついていなかったのであるが、美術の専門家から見たら、どうやら私は美術ツウであるらしい。
そんなこんなで、タクシーは羽田に着いてしまったのだが、いったいこの運転手、私を何者だと思っているのであろう。
なぜか最敬礼で私を見送ってくれたのである。

しかし、自分で言うのもなんなのだが、私はいったい何者なのであろう?
「見た目は子供、頭脳は大人」といえば「名探偵コナン」なのであるが、私の場合、「見た目はいちおう大人、頭脳は子供並み」。
はたして、その実体は???

昔、心理学のベストセラーで「24人のビリー・ミリガン」という多重人格者を扱った本があったが、どうやら私も現役であるらしい。
いったい私は死ぬときまでに、「何人の平準司」になっているのであろうか?
これからもますますこんな私から目が離せないのである。楽しみ、楽しみ。

2006年11月11日 00:00