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2006年11月 4日
国際紛争と民族問題について

トレーナーの北端くんが心理学の研修で台湾に行っているのである。
一応、出張なのである。
がしかし、彼がいないと一番の困るのはこの私なのである。
私がすべての講座を担当せねばならないし、ふだん何かと押し付けている日常の雑務のすべてが、必然的に私に回ってくるのである。

私が7年に一度しか夏休みを取れないにもかかわらず、彼は毎年2週間はこってりと休む。そして、休暇中の行き先は必ず東南アジアと決まっているのである。
公称では、彼は大阪の出身ということになっているが、実は東南アジアからの出稼ぎ外人で、毎年里帰りをしているのだと思っている。
色も黒いし、あの顔立ちは東南アジアチックである。
そのうえ、彼はやけに東南アジアの友達が多い。
休暇の話を聞いていると、シンガポールの友達のところに泊めてもらったとか、ジャカルタの友人にガイドをしてもらってとても楽しく旅行できた、とか言っているし、ときどきは東南アジアのお友達が日本に遊びに来ているようなのである。

さて、私が先日スイスを旅行したとき、彼はとても不思議がっていたのである。
「平さんはスイスがホームグランドなのに、なんでお友達の家に泊めてもらったり、ガイドをしてもらわないのですか?」

確かに、それはそのとおりであろう。
それができたならば、ホテル代も浮くし、やけに高いレンタカーを借りて走り回らずともよかったはずなのである。
もちろんスイスに友達がいないわけではないし、お願いすればきっと目の色を変えて協力はしてくれたはずなのだが・・・それができないわけがあるのである。
今日は、そのことについて書く。

私は、以前3年間ほど毎夏スイスに心理学の勉強のために通ったことがあり、当然、仲良しになった人もいたのである。
ちょうどその頃、私が学んでいた学派の日本での第1回目のカンファレンスが、京都の国際会議場で行われた。
私はスイスの人たちにもこの日本でのカンファレンスに来てもらいたかったのである。
しかしながら、ヨーロッパの国の人々にとって、日本は極東で遠すぎるというイメージがあるようである。しかも、彼らから見たら日本は物価が高すぎるようである。
そこで、そのときお世話係をしていた私は、彼らにこう言ったのである。
「もし、日本のカンファレンスに参加してくれるのなら、その後ぜひ観光をして帰っていただきたい。そしてホームステイをしていただきたい。そのセッティングは全部私が引き受ける」
この発言にその気になってくれた人が多く現れ、たくさんの人が日本にやってきてくれたのである。

その当時の受講生や色んな友人にお願いし、彼らはホームステイを楽しんだのである。
あるとき、私がガイドを引き受けて、みんなをひき連れて京都観光に出かけたのである。金閣寺や銀閣寺、さらにヨーロッパの人々に異様に人気がある竜安寺の石庭などを観光して楽しいひとときを送ったのである。
しかし、多くのヨーロッパ人が抱く京都のイメージは、「田舎」のようである。
彼らは京都というのは、山と田んぼの間にお寺や庭園があるところだと想像していたようであるが、実際に来てみるとビルが乱立しており、ビルとビルの間にお寺や神社があるので驚いたらしいのである。
彼らから「イメージどおりの田舎に連れて行け」というリクエストがあったのである。
この場合、高雄や大原、貴船に連れて行くのが正しいのであろうが・・・・そんなことを考えているときにまたもやタマール様が降りてこられ、私にそっと耳打ちをするのである「太秦に連れて行け」と。
太秦には東映映画村があって、時代劇のセットがそのまま観光地になっており、侍たちが切り合いを見せてくれたりするのである。

そこで私は彼らに言ったのである。
「侍が住んでいる村に連れて行ってあげようか?」
彼らの日本のイメージといえば、富士山、ゲイシャ、空手、侍なのあろう。一同は大喜びをしたのである。
そこで、私は彼らに深刻そうな顔でこう言ったのである。
「君たちの国にもいろんな民族問題があると思うけど、日本でも『侍族』というのは、あまり語られることはないけど大きな問題になっているんだ。彼らは頑なに現在の日本の生活様式を拒み、いまだにちょんまげで刀を腰に差して、独自の地域に根付いて暮らしているんだよ。
もちろん、君たちを連れて行ってあげるのはやぶさかではないけど、彼らはとても凶暴で何かあるとすぐ刀を抜いて果し合いをするから、私の後ろから絶対に離れないようにしてね。
それと、これは大事だからよく聞いておいて欲しいんだけど、彼らには決して危害を加えてはだめだよ。もし万一、君たちが彼らに勝ってしまうと、彼らにはあだ討ちシステムというものがあって、世界の果てまで君たちを追い求め、君たちは必ず殺されてしまうからね」

太秦映画村で私が切符を買っているのを見て、彼らは「これはきっとアフリカのマサイ族の村に行くのにお金を払わなければならないのと同じだ」と思ったようで、まさかそこがテーマパークになっているとも知らず、神妙な面持ちで私についてきたのである。
映画村であるから当然なのであるが、中に入ると彼らが望んでいたとおりの町並みが続いていたのである。
「おー、これこそが私たちが望んでいた日本なのだ」と彼らは大喜びで写真を撮っていたのである。

しばらく歩いていると、サービスなのであろうか、2人の侍たちが決闘をはじめたのである。彼らはもちろんびびりまくりである。
しかも、夏のことであったので、切られた侍は大げさにもセット内にある川に飛び込んで大きな水しぶきをあげたのである。
ほかの日本人の観光客は大喜びで写真を撮っているのであるが、我々の外国人チーム一同は、写真を撮る者など誰もおらず、ただただびびっているのである。
そのうちサービスで、侍が観光客を切りつけたりもしていたのである。
関西の人は特にであるが、侍に切られると大げさに叫び声をあげてばったりと倒れるといったリアルな反応するのである。
ところが、これを遠くで見ている我々外国人チームは、これをすっかり信じてしまい、「決闘の場面で写真なんか撮るからだよ」と青ざめて震えていたりするのである。

結局、しばらくするうちにすべてばれてしまったのだが、彼らは「よくもやってくれたな?」と復讐を誓っていたのである。
それ以来、毎年届くクリスマスカードには「いつスイスに来るのか?」という催促が書かれているのである。「君のための大掛かりな催し物のプランができているよ」とも。

彼らは私がスイスに行くのを手ぐすね引いて待ち構えているのである。
よって私は今回隠密裏にスイスの旅をしなければならなかった次第である。

2006年11月 4日 00:00