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2007年4月14日
伝説の男について

私はとてもアバウトな人間なのである。
細かいことは大嫌い。
「きちょうめん」という言葉は私の辞書にはないのである。
しかし、そんないい加減な私が昔、銀行員だったのである。
今の私をよく知っている方は、とても信じられないかもしれないが、6年も銀行員をやっていたのである。
しかも、その当時私は「この仕事が私にとって天職である」と思い込んでいたのであるからして、その当時、いかに私が自己破壊的な人間であったのか思い知れよう。
今日は、そんな銀行員時代のあるできごとについて書く。

当時の銀行は、セブンイレブンと言われており、とてもひどい職場環境だったのである。朝は7:30には銀行に出勤しており、夜は11:03の最終電車で帰宅していたのである。
月末やお金が会わないような事態になれば、その終電にも間に合わず、タクシーで帰宅するハメにもなるのであるが、タクシー代は自腹なのである。
1ヵ月の残業時間は、120時間とか、ひどい月になると150時間くらいになるのである。
しかも、それだけ残業しても一月の残業代は20時間しかつかないのである。
それはまるで明治時代の蟹工船や「あぁ野麦峠」のような過酷な職場環境だったのである。

銀行に入って1年目、私は一通りの数々のチョンボをこなした。
100枚を束ねて紙で帯封をするところを90枚で帯封をして現金センターに送り、超大目玉をくったこともあるし、3年の定期預金を頼まれたにも関わらず3ヵ月の定期預金を作ってしまい、当時の事務担当の上司とともにお客さんのところに平謝りにいったこともあるのである。


そんな私が、銀行員2年目を迎え、入ってきた新入行員(銀行では、新入社員といわず、新入行員という)を指導する仕事をしていたときのことである。
ある夜も、育ち盛りの私とニューフェイスくんは、11:00前まで残業をして帰ったのである。
晩飯を食っていないため、腹をすかせた我々は、その時間に駅前で唯一開いているたこ焼き屋でたこ焼きを買い、ホームで食べながら終電を待っていたのである。
ニューフェイスくんは、私と違う方面の電車を待っていたのであるが、すぐに電車が来たため、たこ焼きを持ったまま電車に乗り込み、車内でたこ焼きを食べたのである。
一方、私は電車が来るまでしばらく時間があったので、駅のホームでたこ焼きを食べ終わり、終電に乗って帰宅したのである。

次の日の夕方4時ごろ、私は支店長に呼ばれたのである。
「平君、昨日、帰りにたこ焼きを食べたかね?」
「はい、食べましたけど、なぜそのことを支店長ご存知で?」
「実は、ニューフェイスくんが電車の車内でおいしそうにたこ焼きを食べていたのを、同じ最終電車に乗っていた私どもの銀行に融資を申し込んで断られ、いささかご立腹なお客さまに見つかり、お客様相談室に『お前のところ銀行は社員教育がなってない』というクレームをいただいたそうなのである。
その当時の支店長は事情をよく分かっていらっしゃる方だったので、「すまんが一応始末書を書いておいてくれ」と私に指導し、ニューフェイスくんにも始末書を書くよう伝えるようにと言われたのである。
私は先ほども書いたように、始末書を書き慣れているので、お茶の子さいさいなのであるが、ニューフェイスくんははじめての始末書なので書き方がわからなかったようである。

本来ならば、このようなケースでは、始末書はこういう風に書く。

「○月○日深夜11時すぎ、勤務終了後に○○駅構内で飲食をしてしまうという銀行員らしからぬ振る舞いをしてしまいました。
銀行員としての自覚に欠けた振る舞いをしたことにつきまして深く反省し、今後二度とこのようなことをすることがないよう十分反省をいたしますので、なにとぞ寛大な処置をお願いいたします」


ところが、私の指導が十分行き渡っていないせいか、そのニューフェイスくんはこんな始末書を支店長あてに書いてしまったのである。

「○月○日深夜11時すぎにお腹が減っていたので、たこ焼きを買って食べてしまうという人間としてもっともしてはいけない恥ずかしいことを私はしてしまいました。
銀行員として今後二度と決してたこ焼きは買いませんので、この度のことは許してください。
二度とたこ焼きを買って食べるという、不祥事を起こしませんのでなにとぞ寛大な処置をよろしくお願いします」


どうも、彼にとってたこ焼きを買うということは人間として一番してはならない恥ずかしいことであるようなのである。

この始末書は大ウケに受け、当時の支店長は気の利いた人なのでこれをそのまま本部に送りつけた。
本社の人事部でもこの始末書は大いに受け、当時の人事部長は役員会にまでこの始末書を持って行き、ネタにしたそうなのである。
さらに、当時の社長は、ほかの銀行との集まりでもこの始末書のことをネタにしたとかいう噂話も聞いた。

その後、彼は私からの「なぁ今日も人間として一番恥ずかしいことをしないかい?」という再三の誘いにも乗らず、まっとうに銀行員生活を続けていたのだが、あまりにも生真面目すぎたのであろうか、1年後に退職してしまったのである。

しかしながら、彼の退職後もこの事件のことは、語り継がれたのである。

2007年4月14日 00:00