2007年9月 1日
新しい朝が来た
いよいよ夏も終わってしまうのである。
今年、子どもたちの夏休みは9月2日まであるようで、「2日分トクした!」と喜んで
いるのであるが、私の夏休みは2泊3日の病院入院経験ぐらいなのである。
8月の23日にノドのポリープを切った。
おかげでとっても声がよく出るのである。
今回でもう3回目にもなるので、こっちも勝手知ったるものである。
「なんだよ??、唯一の夏休みが2泊3日の入院かよ??」とすねていたところ、病院
側の事情で個室がぜんぶふさがっていて、なんと、特別室に入院させてもらうことに
なったのである。
もちろん、通常個室料金で、である。
「やったー!」
特別室というからには、どんな部屋なのかと期待していったのであるが、期待にたが
わず、それはそれはまるでホテルのスウィートルームのようなお部屋であった。
バカンスを過ごすにふさわしい部屋だったのである‥‥。
思わず、うちの奥さんにデジカメを持ってきてもらい、撮りまくったのである。
私が2泊3日で入院バカンスを楽しんでいるあいだ、うちの子は塾の“絶対合格合宿”
なるものに行ってきたのである。
合格の二文字のついたハチマキを締め、夜の2時まで勉強させられたそうなのである。
私は全身麻酔で寝っぱなしであったというのに、うちの子は「ほとんど寝れなかっ
た」とグチッていたのである。
どうも、いまだに塾ではこんなことをしているようなのである。
手術した当日から、いきなり声が出るのである。
とっても快調なのである。
にもかかわらず、先生は言うのである。
「いいですか、いくら声が出るったって、1週間はしゃべらないようにしてくださいね。
大声なんか出して、せっかくキレイに縫合したところがちょっとでもズレたら、のち
のち声が出にくくなったりするのですからね」とにらみつけるのである。
もちろん、従うつもりであった。
そして、事務所には、「よほどのことがないかぎり、メールも送るな」と念を押して
の入院生活だったのである。
退院日まで、私はちゃんといい子にしていたのである。
が、その退院日、事務所から電話がかかってきたのである。
「明日からの東京ヒーリングワークの会場がとれていませんでした!」
「なぁにぃ?????!」
それからあとのことは記憶にないが、しゃべりまくってしまったようである。
せっかくいい子にしてたのに、僕のせいじゃないもーん。
ダムが決壊したのである。山が動いたのである。
あとはもう、知らないのである。
しかしながら、いちおうそれでも、事務所に行ったらもっとしゃべると思ったので、
おとなしく家で静養していたのである。
そんなときに、うちの奥さんが私に業務命令を下すのである。
「8月の27日の月曜日から、子どもたちのラジオ体操が始まるのよ。
今年、うちの子たちは6年生で担当だから、親がついていってやらなきゃいけないの
よね。あなた、行ってくださる?」
ゲッ。
「退院まもない私に、そんなことを言うのですか?」というオーラを飛ばしたのであ
るが、だれがどう見てもいたって健康で、食っちゃ寝している私を、だれもいたわっ
てはくれないのである。
しかも、うちの奥さんは、いま、決算真っ盛りで、夜の2時3時まで経理事務をしてい
るのであるから、断れないのである。
そして、いったいどれぐらいぶりか、私はラジオ体操に行ったのである。
われわれが子どもの時代、夏休み中はお盆を除く毎日、ラジオ体操したものである
が、最近の子どもは、学校が始まったとき、早く起きれるようにと、夏休みの終わり
の1週間だけラジオ体操があるのである。
この日がこの夏初めてのラジオ体操だったのであるが、困ったのである。
NHKのラジオには第1と第2があるのであるが、はてさて、ラジオ体操はどちらの局だ
ったっけ?
そんなことをしているあいだに6時半がやってきて、なんとか見つけだしたものの、
なんと、いまの子はラジオ体操をあまりよく知らないのである。
よって、子どもたちは全員、私を見ているのである。
が、しかし、私とて、25年ぶりぐらいのラジオ体操なのである。
昔、あれだけ完璧にできたラジオ体操も、25年ぶりにやれと言われると、ちとツライ。
昔は曲を聴いただけで体がちゃんと反応していたものなのだが、曲を聴いても私の体
はピクリとも動かないのである。
てきとうにごまかしたのであるが、さすが現役の子どもたち、「それは、ちょっと違
うんじゃないの?」という目で私を見るのである。
とくにラジオ体操の第2なんかはボロボロである。
みなさん、ラジオ体操の第2、完璧にできますか?
その日、帰って、ネットで調べてみたのだが、「図解・ラジオ体操第2」はないので
ある‥‥。
このトシになって、ラジオ体操ごときでこれだけ苦悩するハメになるとは‥‥。
おそるべし、ラジオ体操なのである。
2007年9月 1日 00:00