2007年9月15日
嵐を呼ぶ男(前編)
9月6日の木曜日、この日は8月のヒーリングワークのコンプリーションのためにだ
け、東京に行かねばならなかったのである。
9月の8・9日の土日は福岡でセミナーがあるので、コンプリの翌日の7日は羽田から福
岡に飛行機で飛ぶ予定であった。
本来ならば、コンプリーションは8月中に行うのがスジなのであるが、私がノドの手
術をしてしまった加減で、9月の6日に日程を変更させていただいた。
しかも、本来ならば、コンプリーションはヒーリングワークのトレーナーがすべきと
ころなのだが、8月は手術にともない、トレーナーも助っ人をお願いしたのである。
よって、私の人生初めて、自分がやっていないセミナーの解説をするハメになってし
まったのである。
9月の6日の日、私は16時25分伊丹発の羽田行きで東京に行く予定だったのであるが、
じつはこの日、私になんの連絡もなく、台風が東京にやってこようとしていたのであ
る。
私はそんなこととはまったく知らなかったのである。
だって、大阪はとっても良い天気だったんだもーん。
さらに、入院して、その後、東京にすぐ出張だったので、録画しておいたテレビをい
っぱい観なきゃいけなかったんだもーん。
なにも知らずに伊丹空港に行き、いつものようにチェックインをしたのである。
そして、なんの問題もなく、飛行機に乗ったのである。
ところが、である。
羽田上空で30分もクルクルクルクル飛行機は回っていたのである。
でも、私は爆睡していたので、ぜんぜん知らなかったのである。
たしかに、きょうはよく揺れるなぁとは思っていたのである。
私の乗った羽田行きの便以降はすべて欠航になったそうであるが、そんなこととはぜ
んぜん知らずにいたのである。
そして、飛行機はいつもより35分も遅れて羽田に到着したのである。
こんな状況なので、飛行機が羽田に着いただけでもよしとしなければならないのであ
るが、私はまったく知らなかったのである。
いつものように、五反田のゆうぽうとに向かおうと思って時計を見てビックリしたの
である。
なぜならば、もうすでに18時15分だったからである。
いつもなら、五反田に着いている時間なのに、なぜ私は羽田にいるのであろう!?
そういえば、さっき、「到着が遅れましたことをお詫びいたします」というアナウン
スを夢の中で聞いたような気もする。
この日、東京は大荒れに荒れた。
暴風雨だったのである。
もちろん、台風がきたのであたりまえなのであるが。
こんな日にもかかわらず、帰りの電車の心配もせずにわざわざ来ていただいた受講生
のみなさんも多数いらっしゃったのである。
ありがたいことである。
その日、東京のホテルで暴風雨の中、私は熟睡した。
次の日は、台風一過のけっこうよいお天気であったのである。
私は11時40分羽田発・福岡行きの便に乗る予定だったので、余裕をもって蒲田のホテ
ルを10時に出たのである。
蒲田駅前でタクシーに乗ろうと思ったところ、なんと、いつもはガラ空きのタクシー
乗り場に30人ぐらいの人が列を作っているのである。
「はて?」
その列に並んでいたのであるが、タクシーがぜんぜん来ないのである。
「はて? はて?」
のちのち判明したのであるが、台風の大雨による増水のため、多摩川がすごいことに
なっており、JRは蒲田と鶴見の間が不通になっていたのである。
横浜と東京の交通網が遮断されていたもようなのである。
しかしながら、まだまだこの時点では余裕があったのである。
しかし、30分経過してもタクシー乗り場の列は短くならず、ぜんぜんタクシーが来な
いのである。
この時点で、10時30分。
私は遅くとも11時20分までに羽田でチェックインしなければ飛行機に乗れないのであ
る。
しかも、タクシー乗り場の長蛇の列に並んでいたほかの人の会話から推測すると、朝
から飛行機は欠航続きだそうなのである。
前日の台風のため、羽田に飛行機が集まらず、飛ばす飛行機がないそうなのである。
「げっ」
人間、困ると超人的な力を発揮するもようである。
私はタクシー乗り場をあきらめ、もう一度ホテルに帰った。
そして、この私が、である。
インターネットで日本航空を検索したのである。
もう一度言う。
この私が、である。
そして、調べてみたところ、なんと幸か不幸か、私の乗る便だけは定時運行している
のである。
不思議なことに、私が乗る便のあとの12時30分発の福岡便は、機材が到着していない
ために1時間ほど遅れる予定になっているのである。
しかし、私はいまからどう羽田空港に行けばいいのであろう?
以下、次号に続く。
2007年9月15日 00:00