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2008年1月19日
りりしい私

前回のブログで、年末年始は受験勉強して過ごしたと書かせていただいたのであるが、年末といえば、スケジュールを組むときに、毎年、困ることが一つあるのである。
それは、私が村のおつきあいの一つとして参加している消防団の“年末警戒”があるからなのである。

読者のみなさんのほとんどは、きっと消防団などには入っていらっしゃらないのであろう。
「消防団? それは、なにをしているのですか?」と、みなさんからよく聞かれる。
「拍子木をカチカチ叩きながら、“火のよう??じん”などと言う活動ですか?」と、なめたこともよく言われる。


私は消防団員歴20年を誇るが、いまだにそんなことは一度もしたことはないのである。
では、なにをしているのかというと、火事のとき、燃えている家を消火しているのである。

「え、それは消防署の仕事ではないですか?」と、みなさま方からよくつっこまれるのであるが、そんなみなさまに、私はつっこみたいのである。
うちのような過疎の村には、消防署なんか、ないんですけど!

だからして、消防団が火事を消すのである。
もちろん、消防車もある。
消防署と同じようなことを、村の消防団はほとんどぜんぶできるのである。

だからして、訓練もしたりするのである。
消防学校にも行ったことがある。
とてもたいへんなのである。

詳しく言うと、消防団活動をしているとき、私の身分は準公務員なのである。
私が消防団に入った約20年前なんか、火事があると、うちの村の消防団でほとんど消してしまい、消えたころにようやく消防署の消防車が到着する、というぐらいだったのである。

だからして、お正月の出初め式なんかのときは、村中の消火栓の点検までするのである。
超本格派なのである。
きょうは。そんなりりしい消防団員である私の、消防団活動の話をさせていただく。


あれは、忘れもしない、3年前の月曜日の朝のことであった。
セミナー明けで疲れ果てていた私は、家で爆睡していたのである。

たしか、朝の9時前だったと思うのだが、消防団のサイレンが鳴り響いたのである。
「すわっ! 火事だ!!」
飛び起きて、消防団の消防車が入れてある消防器具庫に走っていったのである。

月曜日の朝9時といえば、当然、主力メンバーである村の青年たちのほとんどが会社に出勤しているので、駆けつけたメンバーは、私を含め、3人だけだったのである。
それでも、消防車を出して、消防無線を受信し、火事現場に急行したのである。

現場に到着すると、一軒の家が、ゴウゴウとものすごい状態で燃えていたのである。
燃えている家の横には大きな池があったのであるが、季節が冬だったので水が抜いてあって、そこにはほとんど水がなかったのである。

家の近くには消火栓が2本あったのであるが、先に到着した消防車がそれを使っていた。
そのため、私たちは水を確保すべく、その家から500m上にある池に、ポンプを運ばなければならなくなってしまったのである。

家はすでにものすごい状態で燃えているので、急を要するのである。
この私が、である。
とても重たいポンプを持って、他の2人とともに山道を500mもダッシュしたのである。

池まで運んだとき、私はもはや戦力にはなっていなかったのである。
このときの私の消防団活動は、池のそばで終わった。

乳酸が体全体を駆けめぐり、真っ青な顔でゲーゲー吐くだけだったのである。
とてもりりしい男の最期だったのである。

このように、まじめに消防団活動をしているのである。
ただし、なにかと忙しいいために、ここ数年間はろくな訓練をしていないので、いざというとき、このようなていたらくになってしまうのであるが‥‥。

消防署とほぼ同じことをしているので、消防団には当然、りりしい制服なるものがあり、われわれ全員に支給されているのである。
しかしながら、消防団予算というものは必要最小限しかないので、私は20代のときにいただいた制服をいまだに利用するハメになったのである。

当時、やや大きめの制服をいただいたのであるが、いまは、かろうじて、むりやり、上着が着られる状態であり、当然、パッツンパッツンなので、ちょっと力を入れると上着のボタンは凶器となり、飛び散る恐れがある。

当然、ズボンは10数年前からとっくに入らない。
よって、似たような色のズボンをはいていくのだが、はっきり言って、見られたものではない。
帽子に至っては、頭の上にチョコンとのっているだけなので、その全体像は、どう見ても、ドリフの消防コントのようにしか見えない。

しかしながら、この冬、ついに10数年ぶりに、私に合う制服を支給していただいたのである。
りりしい私の制服姿の写真を載せられないのが、とても残念なのであるが‥‥。

2008年1月19日 00:00