2008年3月22日
禁煙、その後
最近、人と出会うたびに言われるのである。
「禁煙、まだ続いているんですか?」
そうなのである。
まだ、禁煙できているのである。
知らない間に1ヵ月を経過してしまったのである。
何だかこのままやめられそうな気もするのである。
しかし、先に禁煙したうちのカウンセラーは、よってたかって私におどしをかけてくるのである。
「考えてもみてくださいよ。そんなに簡単に禁煙できるなら、誰だってタバコやめていますよ。フフフ、山はこれからですよ」
とか、
「そうそう、僕も楽勝だなぁと思い始めたときでしたねぇ、あの地獄がはじまったのは、フフフ・・・」
などと言うのである。
しかし、よく考えると、こいつらはちょっと前も「1週間目が峠だ」とか、「1ヵ月目くらいにものすごいヒマラヤ山脈のような高い壁が立ちはだかるのだ」などと、何かと人の禁煙のじゃまばかりしてくるのである。
しかしなのである。
私はといえば、お花畑のきれいな草原を歩いているがごとくで、ヒマラヤのような山脈も現れなければ、深い谷も現れない禁煙生活なのである。
おかしい?
なぜ、こんなに簡単なのだろう?
禁煙をして3日間ほどは、タバコのことばかり考え、同じく禁煙を志しているカウンセラー2人と連絡を取り合って、「何でこんな目にあわなければならないのであろうか・・・」とか、「タバコが吸えないことでストレスをためるくらい健康に悪いことはないのではなかろうか・・・」など泣き言とグチばかり言っていたのである。
しかし、3日を過ぎると、「確かにタバコを吸いたいのは吸いたいのであるが、どうせ吸えないのだし・・・」と吸わない生活にだんだん慣れてきたのである。
そして、1週間を過ぎた頃から、あまりタバコのことを考えていない自分が存在していたのである。
さらに、2週間を過ぎる頃になると、タバコを吸うという習慣から、タバコを吸わない習慣にだんだん体が慣れてくるようなのである。
私の場合、ニコチン中毒というものは、禁煙をはじめて1週間目くらいまででほぼなくなったように思う。
ただ、それ以上にたいへんだったのは、タバコを吸うという習慣を変えることだったのである。
これまでは、セミナー中なら、セッションが終わって、休憩時間になると必ず喫煙場所に向かっていた。そしてタバコを吸いながら、みんなとうだうだ雑談することで、生活のリズムができていたようなのである。
にもかかわらず、禁煙中なのであるから、当然、喫煙場所にはいけないのである。
ところが、長年の習慣で、私は、喫煙場所に行きたいのである。
でも、行けないのである。
でも、行きたいのである。
などということをしているので、私は休憩中に居場所がなくなってしまったのである。
また、休日に家にいるときは、私は家の喫煙場所でぼーっとタバコを吸いたいのである。ところが、タバコを吸わないので、当然ながら、そこにも行けないのである。
行きつけの温泉でも、気持ちよく一汗かいた後、いつもの場所でゆっくりとタバコを吸って温泉を満喫したいのである。
こんなふうに、いろんな場所でタバコを吸うことと休憩すること、心を休ませることが、全部習慣的につながっていたようなのである。
ところが、タバコを吸わなくなることで、休んでいる実感がなくなってしまったのである。
どうも私はタバコを吸うことによって、いろんなことをリセットしていたようである。
これは、タバコを吸うことによってオートマチックに行われていたようなので、これをタバコを吸うことなしに行うのにとても苦労したのである。
私の場合、タバコを吸いたいという強い欲求は、さほどなくなったのであるが、昔の恋人と同じように、思い出は、美しく作り上げられるものなのである。
「あぁ、食後の一服、うまかったよなぁ・・・」
思い出の中のタバコの一服は、この世の中にこれほどおいしくすばらしいものはないかのように心が感じるのである。
ところが、なぜかはわからないのであるが、もう一つの私の心が、「でも、実際吸ってみたらきっと気分が悪くなるだけだろう・・・」と考えているのである。
だからして、最近はあまり吸いたいという欲求がなくなったのである。
セミナー中も喫煙場所に行って禁煙パイポを口にみんなとうだうだしたりもしているのである。
私の場合は、何でもかまわないので、タバコのようなものを指に挟み、口でスパスパしているだけで、すっかりタバコを吸った気になり、それで満足してしまっているのである。
本当にこれで禁煙できてしまのであろうか・・・
もし、簡単にできてしまうのであれあば、いよいよ次にアレにチャレンジすることになるのであろうか?
2008年3月22日 13:40