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2008年3月29日
最近の私

「春休みなんだし、どっか遊びにいこうよ?」
「ん?面倒くさい」
「そんなこと言わないで、受験勉強も終わったんだし、どっか遊びに行こうよ」
「だるい」
「一泊でもいいから、どっか旅行にでも行こうよ」
「スケジュールが詰まってる」

以上、だだをこねているのは全部私で、断っているのはうちの息子なのである。
春休みになったというのに、何かと忙しいようなのである。
当初、今ごろ、私はハワイにいるはずだったのである。
なぜ、ハワイかというと、趣味でためているマイレージのポイントが20万マイルを超えたのである。
しかも、うちの母親は一度も海外旅行に行ったことがないのであるが、「死ぬまでに一度はハワイに行ってみたいねぇ」などとぐちるので、ここはひとつマイルを使って孫たちと一緒に旅行に連れて行って、母親孝行でもしようと思っていたのである。

が、しかしである。
3月の24日に小学校の卒業式が終わったにもかかわらず、4月の入学式までの間に、中学校のオリエンテーションや、塾のお別れ旅行(これは、夜行バスで東京ディズニーランドに行き、夜行バスで帰ってくるという過酷な旅行なのである)などがあり、とても忙しいのである。
さらにうちは、私の父親が半分寝たきり状態なので、旅行に行くとなると、ショートステイという制度を使って、介護施設に預かってもらわねばならないのだが、ちょうどこの時期は混み合っており、4月6日からなら預かっていただけるとのことなので、どうにもこうにも今回のハワイ旅行は、無理なのである。

よって、機嫌が悪いのである。
そんなこんなで、だだをこね、家でゴロンゴロンとしていたのがたたったのであろうか、ふと気がつくと、左のわきの下に違和感があるのである。
そして、その違和感は、急にどんどん大きくなり、とても大きな激痛となり、左腕が動かしにくいくらい痛くなってきたのである。
21日(金)の朝に小さな違和感があり、23日(日)の朝には、このような大きな痛みにまでなってしまったのである。
日曜日は当然どこの病院もお休みだし、私も予定があったので、市販の薬でなんとかごまかし、月曜日の朝一番に病院に行ったのである。

23日(日)には、大阪でうちのカンセリングサービスのカウンセラーを集めた研修会をしていた。
禁煙仲間のカウンセラーYなどは、「それはきっとヘルペスにちがいない。当分治らない」などとおどしをかけてくるのだある。
その他、ろくなことを言わないカウンセラーばかりなので、表面的には平気な顔をしていたのであるが、内心は、すごくびびり、打ち上げもそこそこに帰宅して、24日(月)は、子供の卒業式にも関わらず、朝早くから病院に行き、一番目の診察をゲットし、先生に診てもらったのである。

この日は、朝10時から子供たちの卒業式なので、何とかそれまでには、処置を終えたいのである。
皮膚科に行くのが妥当な選択だと思えたのだが、どこでもそうだと思うのだが、皮膚科は非常に込み合う。
なので、私は勝負に出たのである。
一番空いている病院はどこか?
もちろんそれは、外科なのである。
基本的に外科はあまり予約していく病院ではなく、ほとんどの場合が送り込まれる病院なのである。
よって、朝早くから並んでいる人は少ないと見たのである。
月曜日という病院が一番混む日にも関わらず、私が8:20に病院にたどりついたときには、受付に誰もいなかったので、診察一番がゲットできたのである。

しかしながら、私は外科が嫌いである。
この科の先生は、何かというとすぐ切る。
とってもひどいことを平気でする、いや、したがる傾向が強い。
だから、何とかひどい目にあわず、薬だけを獲得するためには、あの手この手のかけひきがいるのである。

9:00になり、看護婦さんに呼ばれ、診察室に入った。
まじめでやさしそうな先生が私の担当であったのである。
はっきり言う、この顔を見て、油断した。
わきの下を見せると、先生は、私に同情をしてくれた。
そこで、私はすかさず、「今日は子供の卒業式なので、あまり時間がないのです。抗生物質でもいただいて、切って処置するのは後日にでも・・・」とこちらの事情を伝えたのだが、先生は「ご安心ください。5分で処置いたしますので、お時間はかかりません」と言うのである。
「いや、その・・・」と言い訳する間もなく、看護婦さんに羽交い絞めにされた。
そして、やさしい顔をした外科先生は、「毛穴からばい菌が入って化膿しちゃったんですね。切開しますけど、まずは、麻酔をしますね。一番細い針の注射器でしますから、だいじょうぶですよ」と言うのである。
私はカウンセラ?であるので、人の心を深読みするのが習慣なのである。
先生のその言葉は「ここに注射をするのはとてもとても痛いですよ」と言っているのに変わりないではないか!!
そして、そのとおりであった。
「ギャー」
たぶん、それ以降は意識がない。
ものすごい悲鳴が病院に響き渡ったと思う。

そして、切開の後、先生が言うのである。
「タンポン用意して」
私「ん???」
どうも傷口に外科用語で「タンポン」と言われる脱脂綿を傷口深く差し込まれた模様である。
男の子なのに・・・。
また、貴重な経験をしてしまったようである。

激痛の中、遠のく意識のなかで私は思ったのである。
「これは自慢できる。フフフ」

2008年3月29日 00:00